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昨日一日は何とかいいお天気が保たれたが、今日は朝から曇天で。
まだ明るい方だが、それでも灰色の雲に覆われた空の下、
時折そよぐように吹く風は、そのままペタリと頬に貼りつくような湿っぽさ。
今朝はやや違うルートを使ったものか、
道を挟んだ向かい側にある地下鉄の昇降口から、
そりゃあ軽快な足取りで出て来ての顔を出した少年が
そのまま車の往来がないのを確かめつつ通りを渡って来たのへと、
「やあ おはよう。」
探偵社の入るビルヂングの入り口、
数段ほどという短い階の縁に立ってこちらを振り返っていた長身の男性に、
おやと敦が小首を傾げたのも無理はない。
日頃から始業時間より早く来たためしがないほどに朝はゆっくり出勤が常の、
常時自分本位生活が基本な太宰治氏だったからで。
それが安泰な日のバロメータなほど定着しているものだから、
「おはようございます。」
お行儀よくご挨拶のお返しを交わしたものの、
相手のお顔に据えた目線が外せなくって。
それをこそ怪訝に感じたものか、
んん?と
そこここに咲き乱れる初夏の白い花々が逃げ出しそうなほどの、
麗しき笑顔のままながら、何を訝しんでいるものかと目顔で訊く先輩さんへ、
「いやにお早いなぁと思いました。」
何か特別な案件でも飛び込んで来たのでしょうかと、
隠したってしょうがない、思ったままを口にすれば、
ビル自体の入り口のドアを押し開けてくれつつ、あははとご当人からして朗らかに苦笑し、
「今日が嵐になったら私のせいかもしれないねぇ。」
そうまで言ってから、
「なに、芥川くんが単独任務でちょっと遠くへ向かうらしくて、
車で早く出るというので便乗して送ってもらっただけだよ。」
ああ成程と、敦にもやっと、コトの次第に合点がいった。
こちらの、まるでモデルさんのごとくに見目麗しい男性は、
優しくて繊細そうな振る舞いや紳士的な言葉遣いと裏腹に、
実は元ポートマフィアの幹部だったという真っ黒な履歴を持つ身。
そしてその頃に先輩後輩、
いやさ上司と部下だったらしい、あの黒獣の覇者さんとの
四年越しという根深い因縁に目出度くもけりがついたと同時、
実は片想い同士だったのが素直に成就してのこと、
今や打って変わって甘い甘い恋仲という状況に至っており。
あの文字通りに夜叉のごとくに冷徹残虐な青年幹部が、
こちらの美麗で少々胡散臭い策士殿へは
忠心も厚いまま身を挺して傅いているばかりだとかいうお話は、
今更なので今回は割愛するとして、
「…芥川くんて運転免許持ってたんですね。」
首領直属の遊撃隊隊長なんていう役職づきだから、
何処へ運ぶにしても運転手付きの車くらい手配されているのだろうし、
あの攻守万能な異能も
何となればあの痩躯を持ち上げの 風のように翔けさせるだけの技を発揮しもするので、
本人がハンドルを握る必要なんてないのだろうななんて、敦としては漠然と思っていた。
何と言っても 強殺だか爆破だかによる凶悪犯としての指名手配が為されている男なだけに、
事故など起こさなくとも、はたまた検問なぞに引っ掛からずとも、
幹線道路に設置されているというNシステムで顔がピックアップされれば
そのまま行方を追われた末に手配されかねないし、
そういった由々しきあれこれを問う前に…
「地道に教習所へ通ったのでしょうか?」
免許証の申請は? 自分の顔写真が貼ってあるのでしょうか?と、
至って地味なところが気になったらしいところが、
彼をして天然さんだと中也や太宰に思わせている由縁でもあり。(笑)
「恐らくは通ってないだろうねぇ。」
太宰としては、そういう過程なのだという事情云々よりも、
訊かれた切り口へと愉快さを覚えてのこと、
くつくつと可笑そうに喉を鳴らして吹き出しておいで。
それはそれとして、(笑)
何せあの青年を拾ったのはこの太宰であり、しかも彼自身が未成年だったころのこと。
そりゃあ幼いうちからマフィアの庇護の下にいて、存分に異能を発揮してもいた彼が、
そんな正式な段取りでもって身分証に値する免許証など手に出来るはずがなく。
「ある程度大人になってから構成員となった者はともかく、
そうでない場合、既に免許を持つ大人から技術を直に学んでのち、
偽造した免許証を頒布されるんだよ。」
さすがは元マフィア幹部で、そのっくらいはご存知。
すらすらと語られた恐るべき事実へ、
「やっぱり…。」
何たって、それでビザだの住民票だの取得するよな機会も必要もなし、
万が一の時にちらっと見せるだけでいい代物という把握しかないからねと、
一般人とはまるきり異なる価値観を覗かせてののち、
「そうは言っても芥川くんの運転は上手な方だよ。」
任せっきりにして転寝できるし、単調な道では話しかけてもくれるしねと、
にっこり笑ってのフォローを忘れない。
ただ、そう言えば…こちらの先輩社員さんは、
秀麗な風貌といい、繊細な気配りをこなせる許容といい、
活劇で華麗に颯爽と立ち回れる機敏な運動神経といい、
乱歩さんと対等に議論も出来よう奥深い知識といい、それを生かしての智謀といい、
何かと整っておられるにもかかわらず、
そういや車のハンドルを握っているところは観たことがなく。
のちに国木田に訊く機会があったのだが、
ウッと言葉に詰まってから、
どんなにそれしか手段がなくとも彼奴が運転する車にだけは同乗するなと
そりゃあ厳しいお顔で念を押された少年だったのだけれども。(大笑)
そんな敦くんの胸の内になぞ気づかぬまま、
「中也は一応正式な免許を持ってるはずだけど、」
何せ“箱入り幹部”だからとこそり呟き、
「???」
「いやなに、車も趣味のうちとして愛でてる彼だけに、
愛車を管理する上で必要だと思っての理屈の順番ってやつじゃあないのかなぁ。」
はははと誤魔化すように笑って見せて、
一階ロビー部の突き当り、リフトへ進むと二人して四階までを一気に上がる。
他の事務所もまだ社員は出社してはないものか、それは静かなものであり、
「そいや敦くんこそ何でまたこんな早くに…。」
今のところは彼こそが一番下っ端の新入社員という存在だとはいえ、
事務所の管理の一端である扉の開けたてや清掃整理や何や等々、
所謂 雑用全般をそうそう押し付けられてもおるまいし。
確か昨日は休みだったはずで、
そんな日の翌日は、夜更かしが祟ってついつい寝坊しかかるもんじゃないのかなぁと、
自分は掻っ飛んでいつつも世の常識としてご存知だったか、
だったればこそ、早起きさんだったもんだねと感心感心と褒めるつもりで、
そりゃあ和やかなお顔を 後から続く後輩さんへと振り向けて来たのだが。
「えっとぉ、実は僕も早くに目が覚めてしまって…。////////」
何でそれがこうもお顔を真っ赤にするような理由なのだか、
太宰としては余計に引っ掛かってのこと、おややぁと首を傾げるのもやむなしで。
ああそっか、あの帽子置きくんトコで起きたのかな?
だからそこが もしも訊かれれば外聞的に
お付き合いしてる人とのうにゅむにゅがあからさまになるようで恥ずかしいとか?と、
自分なりの解釈で納得しようとしていたものの、
「昨日は中也さんと鎌倉まで出かけたんですよ?
長谷寺のアジサイが凄くきれいで、中也さんの眼と同じ青いのが多くてそれを言ったらば、
ころころ色を変えるこんな浮気もんと一緒にすんなってちょっと睨まれちゃって、
そんなつもりはないですよぉって長い石段のところで追っ掛けた拍子に転びかかったら、
こっそり異能でフワンて浮かせて助けてくれて、それで…」
“…無いな、うん。”
少なくとも、あの兄人との交際があることを知っている太宰には、
惚気を振る舞うこと やぶさかではない敦くんであるらしいとの再確認をし、
ロッカーの並ぶ控室に入ったところで、ふと、気がついたことがあり、
「そういや、敦くん。」
「はい?」
訊くのと同時に手が伸びていたのは、それだけ親しみ合ってのことだったのだが、
「何で今日はまた、シャツの釦、こうまでしっかり留めているの?」
「……え?///////////」
そうと訊きながら器用そうな長い指が優美な形に崩されてのその先で、
ちょんと掠めるよに触れさせたのが、
虎の少年の細い顎の下、シャツの襟が合わさった首のところ。
それも入社祝いにと社の皆様から貰った品であるネクタイを一応は結んでいる彼ではあるが、
そこはやはりまだまだ十代の少年で、堅苦しい装いは窮屈なのか、
いつもいつも襟元は釦1つ分ほどはだけられており、
余程に寒いか風の強い日でもない限り、鎖骨の合わさる窪みが覗いているほどなのに。
今朝に限っては…今時分から早くも蒸し蒸しとする温気の中だというに、
きっちり一番上まで釦が全部留め合わせられているものだから。
「何か居住まいを正すような記念日でも……。」
来たのかなぁ?なんて、
何かしら揶揄するような言いようをしかかった太宰が、
触れさせていた指先でチョイと襟の縁を下げかかったところ、
「…あっ。」
怪我をするほどの熱いものにでも触れたかのように、
跳ねるようにして総身を震わせ、サッと身を退けてしまった敦の反応も意外だったが、
それ以上に意外なものを、自身の指先が暴いてしまったものだから、
「……敦くん?」
鳶色の双眸を大きく見開いた太宰さん。
やや凍り付きかけたものの、そのままふと自分のロッカーの扉を開けると、
中をがさごそと掻き漁り、一番下の段に置いていた紙箱を開くと、
そこからまだ封をしたままの未使用の包帯を取り出して、
「……とりあえず、これを巻いておこうか。」
「いえあのその、これって怪我じゃないです、太宰さん。」
「いやいや、みたいなもんだって。
それからあのナメクジ野郎へ接近禁止令を発布しなきゃあね。」
「何でそうも棒読みなんですか。」
「つか、離れろや、青鯖野郎っ 」
「わあ、何で中也さんがここにっ!」
「手前こそ、ちょっと目ェ離した隙に姿くらましてんじゃねぇよっ 」
……みんな、一旦 落ち着かないか?
to be continued. (17.06.29.〜)
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*何となく、薄々、気がつかれたかと思います。
こぉんなささやかなもので慌てふためく、海千山千の“双黒”さんたち。
とりあえず 今日に限って
楯になってくれそうな芥川お兄さんがいないのが敦くんの身の不幸かもです。

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